いざなわれてファジアーノ番外編・ユッカとファジ

「おお、ファジがついにJリーグの一員となったか! こりゃめでたいことじゃ!」
 2008年12月1日の夕方、喜次郎(きじろう)おじいちゃんはテレビのニュースを見て大声を上げた。
 ニュースが報じたのは「ここ岡山にあるファジアーノ岡山というサッカーチームが、来年Jリーグに参入する」という内容だった。
「うむ、思えば川鉄水島が神戸へ移転してしまい、このまま岡山にはJリーグクラブがない状況が続くんかと思うたこともあったが、今こうしてファジがJの一員となった。ワシはうれしい限りじゃ」
 おじいちゃんは熱く語る。だが当時小学校2年生のあたし、高屋結香(たかや ゆいか)にとってはどうでもいい話だった。あたしにはサッカーというものの何がそんなに楽しいのか、さっぱりわからなかった。
 しかし、おじいちゃんにとってはサッカーは非常に興味深いものらしい。若いころから大のサッカーファン。それがあたしのおじいちゃんである。


 年が変わり2009年、おじいちゃんはJリーグに参入したファジアーノ岡山を熱心に応援するようになった。いや、それ以前から応援しているのだが、Jリーグの一員となってから、その応援が一段と熱のこもったものになった、というのが正確だ。
 その年、小学校3年生になったあたしに、おじいちゃんが誘いをかけた。
「結香、おまえも一緒に桃太郎スタジアムへ行ってみんかのう」
「ええー? サッカー?」
 正直、このときのあたしはサッカーにまったく興味がわかなかった。
「そねえに言わんと、せっかくの休みなんじゃけえ、ワシと一緒に行こうや。運動公園なら遊ぶ場所あるんじゃけえ、そっちへ行ってもええし」
「んー……じゃ行く」
 あまり気は進まなかったが、かといってこの日は何もすることがなかったので、あたしは仕方なしにおじいちゃんについて行くことにした。

 桃太郎スタジアム(当時)に到着すると、思ったよりもたくさんの人がスタジアムの前に集まっていた。サッカーを見にやって来る人、案外多いのだなと思った。
「あれ? 高屋じゃがな」
 おじいちゃんと一緒にスタジアム前広場を歩いていると、いきなりあたしの苗字を呼ぶ声が聞こえた。誰かと思って声の方を向くと、そこにはひとりの男の子が両親と一緒にいた。
「関(せき)くん!」
 あたしは一瞬ドキッとした。おじいちゃんがあたしに聞く。
「結香、知っとる子か?」
「うん、同じクラスの子」
 実はあたし、ひそかに関くんのことを好きになっていて、思いを寄せている。だからドキッとしたのだ。
「高屋もファジアーノの試合、観に来たん?」
 関くんがあたしにたずねた。多少あせりつつ、あたしは答える。
「う、うん」
「へえ、高屋がサッカー好きやこ、意外じゃなー。オレもサッカー好きじゃけえの、今日こうしてスタジアムまで観に来たんよ」
「そ、そうなんだー」
 本当はあたし、サッカーなんてあまり好きじゃない。だけど関くんの前で見栄を張ってしまった。
「高屋、せっかくここで会うたんじゃけえ、今日はオレらと一緒に試合見ようやあ」
「ええっ」
 なんと関くんと一緒になる!? 本当に?
「そうじゃの。多い人数のほうが楽しいけえのう。結香、同じクラスの子に会えてえかったのう」
 おじいちゃんが口をはさんできた。まだこちらは心の整理ができていないのに、よけいなおせっかいをしてくれたために、関くんの家族と一緒に試合を観る流れとなった。

「岡山にもJリーグのチームができるたあ、思わんかったわな」
「う、うん、そうじゃな」
「高屋のおじいさん、サッカーファンなん?」
「そうなんよ」
 スタジアム内に入り、観客席にすわって、関くんはあたしにいろいろと話しかけてきた。しかしあたしは関くんを前に、緊張して何を話せばいいのかわからない。ひとことふたこと言葉を返すのがやっとだった。
 正直言って、この日の試合がどうだったか、まったくあたしの記憶には残っていない。ただ覚えているのは、近くで関くんがグラウンドへたびたび声援を送っていたこと。あたしはその姿に見とれていた。
 試合が終わると、関くんはあたしにこう言ってくれた。
「高屋、またここへ来て、一緒に試合観ようやー」
 今日はまだまだ関くんと楽しくお話をしたとは言い難い。もっと気軽にお話できるようになりたい。そう思っていたあたしの心のツボを押してくれたような言葉だった。
「うん! また来る」
 あたしはうれしくなって、そう返答した。そうだ。次の試合のときに、また楽しくお話できるようになろう。また次がある。そう思ったうえで、あたしはおじいちゃんに言った。
「おじいちゃん、この次の試合も、一緒に行ってええ?」
「おお、もちろんじゃ! 結香、おまえもサッカーの楽しさに気づいてくれたか! うれしいのう!」
 喜ぶおじいちゃん。でも実は、サッカーの試合なんかどうでもいい。あたしはただ、関くんに会ってお話をしたいだけ。でもそんなこと、おじいちゃんには言えなかった。

 次の試合、その次の試合でも、あたしはスタジアムで関くんと会った。相変わらず試合はどうでもよく、ただ関くんと一緒にいること、話をすることを楽しみにしていた。少しずつ、だんだんと関くんと打ち解けられていくように感じてきて、いい感じになってきた。これから関くんと一緒のときが何度もあるかと思っていた。
 ところが……
「高屋、オレ、ここへ来るのはもう今日を最後にするけえ」
 試合が終わったあと、関くんはあたしにそう言ってきたのだ。
「な、なんで……」
「ファジアーノ、弱うて観とっても負けてばあじゃけえ。もう応援する気にならんのじゃ」
「そうなん……」
 ショックを受けたあたしは、そう答えるのが精いっぱいだった。
「オレ、高屋と一緒に試合観とって、悪うねかったで。高屋はけえからも、おじいさんと一緒に試合楽しんでな。じゃあの」
 関くんはそう言い残して、あたしの元から去っていった。
 なんで……どうして……あたしは悲しくなった。関くんがファジアーノを応援する気にならなくなったことは、どうだっていい。それよりも、いとも簡単にこのスタジアムから離れていったということは、あたしのことをさほど気にかけていなかったということ。そうとわかって、あたしの心はひどく痛んだ。
 それと関くんの「悪うねかった」の言葉。これが「お前のことはどうでもいい」との思いをごまかす言葉だということ、小学生のあたしにだってわかる。関くんが今まであたしと一緒にいて話をしていても、あたしを本当の友達だと認識してくれなかったことが、ただただ悲しかった。


「結香、ファジの試合観に行こう」
 次の試合の日、おじいちゃんがあたしに呼びかけた。しかしあたしはそれを断った。
「行かない」
「どした? 具合悪いんか」
「なんでもない。でも行かない」
 関くんにもう会えないとわかった以上、あたしがスタジアムへ行く意味はない。だからおじいちゃんの誘いも断った。
「そうか……ほんならええ。ワシひとりで行く」
 おじいちゃんはそう言いながら、あたしの元から去っていきスタジアムへ向かった。ひどくガッカリした様子で、寂しげな口調だった。
 そこでふと思い出した。あたしが初めてスタジアムへ行ったときに、おじいちゃんが言っていた言葉を。
 ――「結香、おまえもサッカーの楽しさに気づいてくれたか! うれしいのう!」
 あのときのおじいちゃんは、とてもうれしそうな表情をしていた。今日のおじいちゃんは正反対の表情だった。
 あっ……!
 あのとき、おじいちゃんは本気であたしがサッカーのファンになったと思っていたのだ。だからあんなにもうれしそうにしていた。それに今さら気づいた。
「あたし……おじいちゃんを、だましとった……」
 あたしは自分自身に対し嫌悪感を覚えた。おじいちゃんを裏切る行為をしたも同然だ。試合を観に行くおじいちゃんを利用して、ただ関くんに会いに行っていただけだったのだから。
 その日の夜、スタジアムから戻ってきたおじいちゃんに、あたしは謝った。関くんの件も全部話して。
「んー……まあ、そんなことじゃろうなあと思うた。じゃけどなんも気にするこたねえで、結香」
 おじいちゃんはそう言ってくれた。しかしその表情は、なおも寂しげだった。
「ねえ、おじいちゃん。前々から思うとったんじゃけど」
 あたしはおじいちゃんに、ひとつ質問を投げかけた。
「おじいちゃんは、なんでファジアーノが弱うても、試合観に行って応援し続けるん?」
「おお、せえはな……」
 おじいちゃんの表情が少し明るくなったように見えた。おじいちゃんは語り始めた。
「何よりもファジアーノ岡山というクラブに対して『愛』があるからじゃ。愛があれば、たとえクラブが強かろうが弱かろうが、いつでも応援する気になるもんなんじゃ。勝てるときもあれば、負けるときもある。そう思うとるから、ワシはファジがある限り応援し続けるんじゃ」
「愛……か」
「結香のクラスの子がファジから離れたんは、結局愛がなかっただけのことじゃ」
 おじいちゃんのその言葉に、また悲しい気分がぶり返してきた。関くんはサッカーやファジアーノだけでなく、このあたしにも愛がなかったということだったから。
 その反面、おじいちゃんは愛を抱いている。サッカーにもファジアーノにも、もちろんこのあたしにも。それならおじいちゃんと一緒のほうがずっといい。その思いが強まってきた。そこであたしは言った。
「ねえおじいちゃん、あたしまた一緒に試合観に行くわ」
「ええんか。無理しとりゃせんかのう」
「無理じゃねえんよ。おじいちゃんをだましたこと、悪いと思うとるから、今度はまともに試合観ようと思うとるんよ」
「そうか……ええ子じゃのう、結香は」
 おじいちゃんはそう言って、あたしの頭を優しくなでた。心がほっこりとしてきたようだった。
「試合観てわかんないことあったら、教えてくれる?」
「まかしとけや。ルールとか詳しいことの説明を、ワシがしちゃるけえの」
 そう言うおじいちゃんは、満面の笑顔を浮かべていた。

 次の試合の日、あたしはおじいちゃんと一緒に桃太郎スタジアムへと行った。関くんにはもう会えないけど、その分今度は試合を観るほうに時間を回そうと思っていた。
 試合が始まると、おじいちゃんは解説をしてくれた。
「ゴールラインの外にボールを出したのが攻撃側じゃったら、相手のゴールキック。守備側が出した場合は相手のコーナーキックじゃ」
「え、えーと……つまり、さっきのは?」
「攻撃側が出したけえ、ゴールキックじゃ」
「ルールがややこしいわー」
「最初は難しいこと覚えようとせんでもええ。とにかく約90分間ボールの取り合いをして、多くゴールを入れたほうが勝ちじゃ。単純じゃろ?」
 おじいちゃんはそう言ってくれた。そうか、何も難しく考える必要はないんだ。このグラウンドにいる11人対11人のボールをめぐっての戦いだと思って観ればいいんだ。そう考えると、気軽に観られるようになってきた。

 そして、続けて何試合も見ているうちにルールもだんだんと理解できだして、いつの間にかあたしはサッカーを好んで観るようになっていたのだ。あたしもサッカーに、ファジアーノ岡山に対して「愛」を抱き始めていた。グラウンドで必死にボールを追いかける選手たちの姿を見ていると、とてもカッコいいと感じるのだ。そんなカッコいい人たちが、この岡山の地にいる。その面でもあたしは魅かれていった。
 気がついたら、あたしはおじいちゃんと一緒にスタジアムへ行くのが当たり前のこととなっていた。ひとりのサッカーファンとなっていた。キャリアの長い大のサッカーファンの孫である、あたし。あたしもその血を引いていたのだ。

 この年初めて試合を観て、応援を続けたあたしだったが、結局ファジアーノ岡山はJリーグディビジョン2で最下位に終わった。
「Jリーグ参入1年目は残念な結果じゃったが、まだまだこれからじゃ。じゃけえ来年も応援していこうや、結香」
 おじいちゃんのその言葉に、あたしの答えはひとつ。
「もちろん!」
 こうして、あたしはおじいちゃんとともにファジアーノ岡山の応援をするに至ったのだった。


 それから7年の時が流れ、あたしは高校1年生となった。変わらずあたしはおじいちゃんと一緒にファジの試合を観に行っていた。
 高校で新たに仲のよい友達もでき、高校生活にも慣れて充実した日々を送っていた6月下旬、あたしはおじいちゃんにひとつ頼みごとをした。
「おじいちゃん、今度なー、あたしの学校の友達をCスタへ誘うてみようと思うとんよ。興味持ってくれるかどうかわからんけど。ええかな?」
「おお! そりゃ大歓迎じゃ。じゃったら7月16日の北海道コンサドーレ札幌戦がええのう」
「なんで?」
「その日のCスタは高校生無料デーなんじゃ。タダで入れるなら誘いやしいじゃろ」
「あ、そっかー。じゃその日にするわ」
 新たなファジの応援仲間ができるといいな、そんな期待がふくらんだ、2016年の初夏だった。

(番外編おわり)