今、この場の、この歓喜が――
1.
2018年4月の初め、新学期が始まる日の朝。
わたし、藤原奏恵(ふじわら かなえ)はサクラの花びら舞う中、学校へとやってきた。岡山市で生まれ育って、今17歳。わたしもいよいよ高校3年生だ。
「おっはよー! カナー!」
親友のユッカこと高屋結香(たかや ゆいか)が校門前でわたしに会うなり元気なあいさつ。わたしもそれに元気で返す。
「おはよー!」
ユッカとわたしは校舎へ向かいながら話をした。
「とうとうあたしら3年生かー。カナ、進学先どうするか考えとる?」
「わたしは大学行くつもり。どの学部にするかは、まだ具体的に考えとらんけど。ユッカは?」
「あたしは地元の歯科衛生士学校目指そうと思うとる」
「へー、ユッカの目標は歯科衛生士かー。もう具体的に決めとんじゃの。ええなー」
「あ、でも……」
ユッカが急にテンションを下げた。
「場合によっては、今みてえにいつでもカナと一緒にファジの応援に行くゆうこと、できんようなるかも」
そうか、言われてみれば――
ユッカとわたしは、ともに地元のサッカーJリーグクラブ・ファジアーノ岡山を応援する仲だ。2年前、高校1年のときにユッカから誘われて初めてスタジアムを訪れた。そこでわたしはサッカー観戦にどハマりして、以来ユッカとともに頻繁にスタジアムへ足を運ぶようになったのだ。
ユッカはこの先もここ岡山にとどまるけど、わたしの場合はもしかすると岡山を出ることになるかもしれない。そうなるとわたしたちは離れ離れだ。どうなるんだろう、この先――
そんな思いをまぎらすように、わたしは明るく振る舞った。
「まあ、今はそんなこと深く考えんでもええが。いつものようにCスタで試合あるときは観に行こうえー」
「でも受験近づいたら、そねえに観に行くこともできんわな」
「そうじゃけどー」
受験という壁がいやが上でも立ちはだかる高校3年生。わたしたちのファジ応援にも、それはしっかりと影響しているのだった。
わたしがファジの応援を始めた年、ファジは6位でシーズンを終え、昇格プレーオフへ駒を進めた。しかし決勝で敗れ、あと少しのところでJ1昇格を逃してしまった。
翌年、初めてシーズンパスを買って応援。今度は昇格を!と期待したものの、結果はむなしく13位に終わった。
そして本年。ユッカとわたしは引き続きファジの応援のためにシティライトスタジアム、通称Cスタへと通い続けている。わたしたちがCスタへ行くときはいつも、ユッカのおじいさんの喜次郎(きじろう)さん、通称キジさんも一緒だ。
このキジさん、若いころから大のサッカーファンで、実に50年もの間日本サッカーを追い続けている重鎮だ。わたしはそれほどのお方と応援をしている。
キジさんにはこれまでいろいろと教えをいただいている。日本サッカーの歴史や昔の試合のできごと、またどのチームがどのような経緯をたどっていったか、など。どんな熱心なサポーターでも、キジさんの博識にはかなわないだろう。
しかしやはりキジさんも、わたしたちのことが気にかかるようで、こんなことを言う。
「結香も奏恵ちゃんも、来年は受験じゃろう。いつまでも応援に行くやこ、のん気なこたあできんじゃろ」
それは確かにそうだ。でもわたしは、たとえ高校3年という立場でも可能な限り応援に行きたい。勉強は大事だけど息抜きも必要。その思いをキジさんに伝えた。幸いキジさんは理解してくれたようで、引き続きご一緒に応援に行くこととなった。
2018年のファジは開幕からの出だしがよかった。アウェイの1戦目に勝ち、そのあとのホーム開幕2連戦をともに勝って開幕3連勝。その後引き分けをはさんだものの、開幕から6戦負けなしの快進撃だった。
「今年のファジはいけるかもしれんでえ。ワシが生きとる間に、J1昇格やるかもしれん!」
キジさんはそう意気込んだ。本当に、今年のファジの勢いならJ1昇格も夢ではない。そんな思いだ。
わたしは絶対に、ファジのJ1昇格をこの目で、ユッカ・キジさんと一緒に見たい、そう期待していた。していたけれど――
2.
5月31日、あまりに突然のことだった。
夕方、ユッカからわたしの携帯電話に着信が来た。何の用かと思いながら電話をとった。
「もしもし、ユッカ、どしたん?」
「カナ……カナ……」
電話の向こうから、ユッカの悲しそうな声が聞こえた。
「え……ユッカ、何があったん?」
「おじいちゃんが…………死んだ…………」
「えっ!!!!」
信じられなかった。まさか。キジさんが死んだ? そんなのウソだ。ウソだと言って。わたしはそう願ったが、ユッカはこう言った。
「今朝、あたしが学校行く前は、普通に起きてご飯食べとったんよ。じゃけどあたしが学校行ったあとに、突然倒れて、心臓止まって……」
「……そんな……ユッカ、今からそっち行くわ」
キジさんが死んだなんて、この目で確かめないととても信じられない。そんな思いから発せられた言葉だった。わたしは電話を切り、すぐに高屋家へと向かった。
キジさんの死は本当の話だった。高屋家に来たわたしは、布団の上で息もせず眠ったままになっているキジさんの姿を前にして、茫然自失となりヒザから床に崩れ落ちた。
「カナ……」
ユッカが話しかけてきた。しかしわたしは心への衝撃があまりに大きく、言葉が出てこない。
「おじいちゃん、急性心不全じゃって……普段元気じゃった人が突然死ぬパターンじゃて……」
ユッカは下唇を噛みながら涙を浮かべていた。わたしの目からも涙があふれた。
その夜、ベッドで眠りにつく前のわたしは、忘れられないキジさんとの思い出を頭の中に浮かべていた。
5月3日憲法記念日のことだった。その日わたしはキジさん・ユッカとともに千葉市のフクダ電子アリーナへ行って、ジェフユナイテッド市原・千葉 vs ファジアーノ岡山の試合を観戦した。遠出となるアウェイ観戦。初めて行くフクアリ。あのときのことが、よみがえってくる――
「ふえー、京葉線ってこねん地下深くにあるん? まるで核シェルターじゃ」
岡山駅から新幹線に乗って東京駅に着いたら京葉線に乗りかえるのだが、このホームが異様に遠い。ようやくたどり着いたとき、思わずわたしの口からそんな言葉が出た。
「しかし乗る人多いのー。電車の中でえれえ混んできとる。なんでこねんに多いん?」
乗客でいっぱいになっている電車内で、ユッカが言った。それにキジさんが答える。
「ディズニーリゾートへ行く人が多いんじゃ。ワシは前にフクアリ行ったことあるけえわかる。舞浜で今乗っとる客の半分以上が下りるけえ、せえまでの辛抱じゃ」
ああ、それで納得。事実、電車は舞浜駅でそれまでの混雑はなんだったのかと思うくらい、車内が空いてきた。やはり乗客の多くがディズニーリゾートへ行く人だった。そんな中で、フクアリへ行くため終点の蘇我駅を目指すわたしたちは少数派ということになる。フクアリで試合を観るほうが楽しいのに。
電車は蘇我駅に到着。下車して駅構内を見ると、見事に黄色と緑に染まっている。フクアリをホームとするジェフユナイテッド市原・千葉のチームカラーだ。
「『JR東日本はジェフユナイテッド市原・千葉を応援します』って書いてある」
「JR東日本はスポンサーじゃけえの。そもそもジェフユナイテッドのジェフは『JR East Furukawa』で『JEF』じゃ。日本リーグ時代の古河電工サッカー部を前身とする名門チームなんじゃ」
あ、またキジさんのサッカーうんちくが始まった。いつものことだから、話半分に聞いておこう。
蘇我駅から西へと歩いていくこと約8分、フクダ電子アリーナが見えた。ここ、岡山のCスタよりも駅から近い。わたしは今回初めて専用スタジアムへと来たが、その雰囲気はいかほどのものか。
わたしたちはアウェイ席に入った。そこでわたしの眼前に現れたものは、芝の緑が一面に広がる世界だった。

「これが……専用スタジアム……」
一面の緑、グラウンド近くに迫る客席、周囲を覆う屋根、いつもわたしが行く陸上兼用スタジアムとはひと味もふた味も違う世界だ。今まで感じたことのないときめき・きらめきが、わたしの心を駆け巡る。
「やっぱり専スタは違うのー。間近で試合観られるけえ」
ユッカの言葉を追うように、わたしも言った。
「ほんまじゃー。ここ、まさしくサッカーをやるためのスタジアムじゃな。ええなあ。岡山にもこういうのできてほしいわー」
「ふたりとも、これから何か食べようか」
キジさんが呼びかけた。そうそう、朝早く出発してここに到着したのが11時ごろ。そろそろお腹も空いてきた。するとキジさん、カバンの中から何かを取り出した。タッパー容器だ。えっ? なんでそれを?
「フクアリには、けえを持ってくるとええんじゃ」
そう言うキジさん。いったい何のこと? キジさんはタッパーを片手に何やら楽しそうな様子。ユッカとわたしは、そんなキジさんについていき場外の屋台村へと向かった。
屋台村ではいろいろな食べ物が販売されている。ジェフ千葉のマスコット・ジェフィを形どった人形焼き「ジェフィ焼き」なんてのもある。
そんな中でキジさんが向かったのは「喜作」というお店。ソーセージ盛りが人気らしい。キジさんは注文すると、手に持っていたタッパーを店の人に差し出した。店の人はタッパーに次々とソーセージを詰めていった。
「ここはタッパーを持ってくると、ソーセージを多めに入れてくれるんじゃ。けえなら皿にのせるんとちごうて、あふれ落ちる心配もねかろう」
「なーるほど!」
こういうサービスがあるとは。あなどれないぞ、フクアリ。
ソーセージ盛りを3人でシェアして食べたが、まだもの足りない。もっと何か食べたい。そこでわたしはキジさんにたずねた。
「ここ、他にどんな食べ物売ってます?」
「そうじゃのう……あ、インド料理の店があるのう」
「ほんまですか! じゃそこ行きます!」
わたしはキジさんから場所を聞き、そのインド料理の店へユッカと一緒に向かった。
インド・スリランカ料理の店「サマナラ」の屋台は、ホームゾーン出入口の付近にあった。つまりわたしたちアウェイの客が行けるギリギリのあたりにある。
「わ、ナンを売っとんじゃて。食べたいわー」
ユッカがそう言う。
「ナン? なんよそれ」
「知らんのん? インドのパンじゃ。インドではナンにカレーをつけて食べるんよ。あと、さっきのダジャレ?」
「いや、そんなつもりじゃ……じゃそのナンを食べようえー」
ユッカとわたしは、ともにチキンカレーとナンのセットを注文。すると店の人は生地をこねて、それを大きな釜の内側に貼りつけた。
「ああやって焼くんだ」
「あたし、焼くとこ初めて見るわー」
しばらくするとナンは焼き上がり、店の人はナンに溶かしバターを塗ってカレーといっしょに渡してきた。
ユッカとわたしは席に戻り、わたしはさっそく焼きたてのナンをちぎってそのまま食べてみた。初めて食べるナンの味。今まで味わったことのないパンの風味が口いっぱいに広がる。今度はカレーをつけて食べてみた。ナンはカレーとよく合う。さすがカレーの本場インドのパンだ。ああ、今自分がインドに来ているような錯覚に陥ってしまいそう。スタジアムでこういったものを食べられるとは、思ってもいなかった。
「ファジフーズにはこういうのねえわなー。カレーは売られとるけど、あれはインドのものってイメージじゃねえし。じゃけえここでナンとカレーを食べられたのは貴重な体験じゃわー」
ユッカがナンをほおばりながら、うれしそうに言った。
一方キジさんは、器に入った汁物を手にして食べている。
「それ、なんです?」
「ああ、モツ煮込みじゃ。空海って店で売られとった。けえはファジフーズにねえけえの」
「そういったものまでも販売されているんですね」
フクアリのスタジアムグルメ、ファジフーズに負けじとも劣らぬ品ぞろえだ。
しばらくすると試合開始。前半は千葉もファジもお互い譲らない戦いを繰り広げ、0-0で折り返した。
そして後半。ファジは相手に得点を許してしまった。でもまだまだ時間はある。攻めていこう。
この試合、やけにイエローカードが多めに出されていたが、ファジの選手がイエロー2枚目を受けて退場。よって、これからファジは選手をひとり欠いた状態で戦わなければならなくなった。苦しい状況に陥ったが、どうか意地を見せてほしい。わたしはそう願った。
試合は終わった。1-0。ファジは敗れた。
試合結果は残念だったが、ここへ来てよかった。専用スタジアムの雰囲気を初めて味わえたし、近い距離でプレーを観られたことに感動したし、ファジフーズにはない食べ物もいただけたし、フクアリはわたしにとってすてきな思い出をくれた地となった――
思い出がこみ上げてきて、またわたしの目にひとすじの涙が流れた。キジさん、あのときは普通に動いていて、普通にしゃべっていて、普通に食べていたのに……どうして…………
ああ、それとついこの間、5月18日のCスタでの東京ヴェルディとの試合。後半17分で激しい雷雨が発生したために途中で中止になった試合。6月27日に試合の続きがCスタで開催されると決まったのに……キジさんはもうこの続きを観られないんだ……水曜日の夜だけど、いっしょに観に行こうと思ったのに…………
その夜は枕がわたしの涙で濡れていった。
キジさんの死から2日後、葬儀がおこなわれた。わたしも参列した。
皮肉にも葬儀の日は、Cスタでファジの試合がある日だった。本来ならそちらへと行くはずだった。キジさんも一緒に。だがもう今後は、それすらできなくなる。
キジさんの棺に大量の花が入れられた。それとともに、キジさんが愛用していたファジのユニフォームとタオルマフラーも入れられた。
「天国でもファジの応援してーな、おじいちゃん」
ユッカがキジさんの亡骸にそっと語りかけた。
いよいよ出棺。そのとき会場に音楽が流れた。聞き覚えのあるこの音楽――『Over the Rainbow』だ。ファジの試合で選手入場のときにファジサポーターたちが歌う曲だ。ファジはいつもこの曲とともにあると言っていい。これが出棺の音楽に選ばれたことで、わたしはまたキジさんと観戦・応援した日々を思い出し、涙が流れた。
キジさんの亡骸はこれから東山の斎場へ行く。なのでこの会場で本当のお別れだ。霊柩車の出発を知らせるクラクションが鳴らされると、わたしは目を閉じ静かに手を合わせた。
3.
キジさんが亡くなってから、わたしは当分Cスタへ行くのを休止することにした。キジさんがいないと心にポッカリ穴が開いたようで、楽しめるものも楽しめない気分だ。
わたしがファジの応援をするキッカケを作ってくれたのはユッカ。でもそこからわたしをひとりのサッカーファンへと昇華させてくれたのは、まぎれもなくキジさんだ。キジさんからいろいろな教えをこうて、その教えのおかげで今のわたしがいる。感謝してもしきれない。それだけわたしにとっては、キジさんの存在は大きなものだった。
ユッカも同じ思いだろう。最愛のおじいさんをあまりに突然に亡くしてしまったのだから。今までずっとスタジアムへ一緒に行っていた存在が消えて、すぐに行く気にはなれないだろう。そう思っていたのだけれど――
「カナ、今度のCスタの試合は6月17日、日曜日、横浜FC戦じゃ。18時試合開始じゃけえ、14時にジップアリーナ集合な」
学校でユッカがそうわたしに言ってきたのだ。まだキジさんが死んでから1週間しかたっていない日のことだった。
「え、ユッカ、行くん?」
「当然じゃろ」
「キジさん死んだんに」
「いつまでも悲しんどっても仕方ねかろう。おじいちゃんがおらんでも、これまでのようにファジの応援しようえー」
「なんで? ユッカ、キジさんが死んだんに、悲しゅうねえんか」
「じゃけえいつまでも悲しんでも仕方ねかろうって言うとろうがー」
「ユッカ、あんた薄情じゃの」
「は……? なんよ」
「自分のおじいさんが死んでも、そねえに簡単に『応援に行こう』やこ言えるんか。わたしは今までキジさんとずっと一緒に応援に行っとったんに、そのキジさんがおらんようなって、悲しゅうて試合観に行ける気分にならんわ。ましてや実の孫じゃたら、よけいにそう思うもんじゃねえんか、ユッカ。じゃけえ薄情じゃ言うとんじゃ」
「な、なんよ、何もそねえに言うこたねかろうが。もうええわ! カナとは一緒に行かん!」
「好きにせられえ!」
お互いに怒りの感情がぶつかった。ああ、ケンカになってしまった。あとでそれを悔やんだところで、もう遅かった。ユッカとわたしの間に溝ができ始めてしまった。
それから、ユッカとわたしはお互い口をきかなくなってしまった。こんなのイヤだと思っている。仲直りしたいが、どうすればいいかキッカケがつかめない。そんな調子で重苦しい日々が続いていた。
わたしは自分の部屋で、ベッドの上に寝転がりモンモンとしていた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。今までこんな仲たがいなんてしたことなかったのに。
ふと思った。ユッカとわたしの間にキジさんがいてくれたときのことを。そこで気づいた。わたしたちふたりが何かの拍子で言い合いになろうとしたら、そこにキジさんが入って仲裁していた。それでわたしたちの間は平穏が保たれていた。いわばキジさんは「緩衝材」の役目を果たしてくれていたのだ。
しかしその緩衝材も、今はもういない。だから今、ユッカとわたしとの間はギクシャクしている。やはりそれほどに大きな存在だったのだ、キジさん。
ベッドの上で顔を伏せたそのとき、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「奏恵、お母さんよ。入るで」
わたしの母の声が聞こえた。母はわたしの部屋へと入ってくるなり、こう言ってきた。
「結香ちゃんと何かあったんじゃろ」
「お母さん、なんでわかるん?」
「わかるわ。じゃってあんた、最近家で結香ちゃんのこと、いっこも話さんようなったがー」
「あ……」
母にすべてが見通されたと観念したわたしは、母に顔を近づけ訴えるように言った。
「お、お母さん……実は……」
わたしはユッカと仲たがいに至った経緯を母にひと通り話した。それを受けた母はこう言った。
「結香ちゃんは、きっと自分の悲しさを奏恵に見せんようにしとったんよ」
「えっ?」
「じゃって自分のおじいさんが亡くなったんよ。そりゃ心の中では悲しいと思うとるに決まっとるわ。でもせえを他人には見せんように、表では悲しゅうないフリをして、無理して明るう振る舞っとったんじゃと思うよ」
「そうなん!?」
「自分の身内を亡くした人が、ようやることじゃ。自分が悲しんどったら周りの人たちも悲しゅうなるけえって、あえて明るい素振りを見せるんよ」
「そうじゃったんじゃ……」
わたしはそこまで考えられなかった。あのときユッカが試合観に行こうと誘ったのは、悲しみを心の奥底に押し込んでのことだったのだろうか。そうだとしたら、わたしはユッカにとてもひどい言葉を浴びせたことになる。薄情だなんて、ユッカの気持ちも知らずに言ってしまった。
「お母さん、わたし……わたし、ユッカにひどいこと言うてしもうたわ」
「そうじゃと気づいたら、もうわかるじゃろ? 奏恵が結香ちゃんにどうすべきか」
「ユッカに謝る」
「そう。奏恵が謝れば、結香ちゃんもきっとわかってくれると思うで」
母はそう言いながら、わたしの頭を優しくなでた。
ユッカに謝りたい。そんな思いから、わたしはユッカに電話をかけた。しかしいっこうに出る気配なし。
となると、これはやはり直接ユッカに会って、本人の目の前で謝罪の言葉を伝えるしかない。わたしは明日学校でそうしようと、覚悟のうえで決意した。
翌日。教室内で、わたしはユッカの席へと行った。ユッカはわたしを見るなり、無言でプイと顔をそむけた。しかしわたしはメゲずに、心臓の音が高く鳴り響くのを感じながら、頭を下げてユッカに向けて謝罪の言葉を発した。
「ユッカ、この間はほんまごめんね。わたし、ユッカの気持ちをまったく無視しとった。ほんまに悪かった思うとる。ひどいこと言うてしもうて、ほんまごめん!」
だがユッカは顔をそむけたままだ。
「ユッカ……」
これでも許してもらえないのか?
「あんな、ユッカ。これから独り言言うけど、聞けたら聞いとってな」
わたしはその「独り言」を始めた。
「わたし、大学は外国語学部を志望することにしたんよ。志望校と、あと他に受けようと考えている大学はすべて県外。わたしは確実に岡山を出ることになるんよ。つまり来年はユッカと離れ離れになるけえ、一緒にCスタ行ける機会が少のうなるゆうことじゃ」
独り言の間に、ユッカの視線が少しだけわたしの方を向いたように見えた。
「じゃけえ今のうち、できる限り一緒にCスタ行くんがええわな。今度の横浜FCとの試合、わたしも観に行くわ。当日14時に、わたしジップアリーナの前におるけえな。せえじゃあの」
わたしはそう言い残して、ユッカの席から立ち去った。
当分Cスタへは行かないつもりでいたが、撤回。いつもどおり行くことにした。ユッカにわたしの気持ちをわかってもらうためには、こうするしかないと思ったのだ。
これは賭けだった。自分が来年は岡山から出ること、そして再びCスタへ行く意思があること、これを聞けばユッカはまたわたしと一緒にファジの応援に行こうと考えるのではないか、そう踏んでのことだった。イチかバチか、ユッカの思いに賭けてみた。
果たして、ユッカはわたしの思いに答えてくれるのだろうか――
6月17日、13時50分。わたしはジップアリーナの前に立っていた。
わたしは若干不安を感じていた。わたしがここに来ることをユッカに言いはしたが、ユッカは来てくれるのだろうか。もしあの言葉さえも無視されたなら、わたしはこの先いったいユッカにどうすればいいのだろうか。
そんな思いが頭の中を駆け巡る中、わたしはジップアリーナの建物を見上げた。そうか、考えてみれば、わたしが最初にファジの試合を観に行ったとき、このジップアリーナの前が待ち合わせ場所だったのだ。そこで初めてキジさんとお会いした。
「……ナ……カナ……」
わたしの背後から、かすかにわたしの名を呼ぶ声が聞こえた。振り向いてそこにいたのは――
「ユッカ!!」
わたしは叫んだ。そう、声の主はまぎれもなくユッカだった。
「その……やっぱりあたし……カナと一緒に試合観るほうがええけえ……来年はカナが岡山におらんけえ……せえで……」
ユッカがうつむき加減で視線をそらしながら言う。だがわたしはユッカの姿を見るなり、思わずユッカの体をギュッと抱きしめたのだった。
「カ、カナ!?」
「ユッカ……来てくれたんじゃの……うれしい……ほんまごめんね、ユッカのこと薄情じゃなんて言うて」
わたしの目に涙が浮かぶ。
「カナ……そねえにあたしのことを……」
するとユッカはわたしの体に手を伸ばし、わたしを抱き寄せた。
「カナ、あたしこそごめんな。あたし気持ちが軽うなりすぎとった。カナがおじいちゃんのことを、あねんにも思うてくれとったのを無視しとったわ」
ユッカの目にも涙が浮かんでいた。
「ええんよ。元はわたしが悪かったんじゃもん」
ユッカが来てくれた。そしてわたしに謝ってもくれた。わたしの思いはユッカに伝わっていたのだ。
ユッカとわたしはしばらくの間、互いに抱き合っていた。これまでの冷戦状態から和解へと転じる、そんな経緯をたどっているかのような状況だった。このハグ、忘れられないものとなるだろう。
「もう2年前になるんじゃの。カナとあたしが初めていっしょにCスタ行ったん」
「そうじゃの。そのときここで待ち合わせしたわな」
「思い出すわー。あのときは高校生無料デーじゃったけえ、カナを誘うたんじゃわ」
「そうそう、ユッカがわざわざその日を選んでくれたんは、うれしかったわ」
会話が弾んできた。以前のわたしたちに戻っていた。ささいなことで壊れるような友情じゃない。キジさんがいなくても、わたしたちはきっといい関係を保てる。そう確信できる。
幸いこの日は梅雨の中休みで晴れ。わたしたちの気分も晴れやかになった。わたしたちの足はCスタへと向かっていった。
「さーて、今日はファジフーズで何食べる?」
「今日は横浜FCとじゃけえ、中華のメニューがぎょうさんあるんじゃって」
「おー、そりゃ楽しみ。あと、横浜FCとの試合ってことは、元日本代表の50代で現役の人、出るかのー?」
「出てほしいのー。伝説の人と呼ばれるあの人を生で観たいわー」
この日の試合結果は0-0のスコアレスドロー。元日本代表の伝説の人はリザーブとして入っていたけれど、結局出場することはなかった。それでもわたしたちにとっては、別の意味で思い出に残る試合となった。
キジさんはもういないけれど、これからはキジさんの分まで、わたしたちふたりで応援していこう。ユッカとわたしは互いにそう誓った。
4.
わたしたちはファジを応援し続けた。今年こそJ1に昇格できるかもしれない、その期待を胸に。
しかし期待とは裏腹に、5月に入ってからのファジはなかなか勝てない試合が続いた。開幕当初の勢いが逆Ⅴ字のように下降するかのような苦しい闘いの連続となっていた。
5月18日に途中中止となり、6月27日にその途中から再開した東京ヴェルディとの試合も、結局ファジの負けで終わった。キジさんはこの試合の結果を見ないまま逝ってしまい心残りだろうと思うと、よけいに悲しい気分になった。
ファジの苦しい状況に追い打ちをかけるように、7月6日から7月7日にかけて、記録的な豪雨が岡山を襲った。「晴れの国」であるはずの岡山で、豪雨の影響により鉄道は止まり高速道路は通行止めとなり、一部地域では川が氾濫、浸水の被害も出た。
わたしが住んでいるところは幸い大した被害はなかったが、わたしは今まで見たことのない豪雨による水害をテレビで目にして、自然の脅威に驚かされた。同時にこの水害で多数の人の命が奪われた事実を目の当たりにして、悲しい気分となりこう叫びたくなるのだった。
「なんぼファジが勝てない悲しさからの涙雨じゃゆうても、限度があるじゃろうが!」
岡山でなおも豪雨が降り続く7月7日には、ファジはアウェイで試合があった。相手は皮肉にも、以前Cスタで悪天候のために中断となった試合で対戦した東京ヴェルディ。しかしこの日は交通網が完全にマヒしてしまっていたために、ヴェルディの本拠地・東京都調布市の味の素スタジアムまで遠征に行けたファジサポは少数にとどまった。
そんな状況下で、味スタにてヴェルディと闘ったファジ。結果は0-1でファジの勝ち。先日の再開試合で敗れた雪辱を見事に晴らした。
この試合、ファジ側ゴール裏では
「来れないやつらの分まで」
と書かれた横断幕が張られたという。豪雨により現地まで行けなくなったファジサポの思いが、この横断幕に込められたということだ。その文言を選手に届けたことでファジは勝てたのだ。きっとそうだ。
7試合ぶりの勝ち試合。豪雨災害に見舞われた岡山に、少しばかり希望の光が差してきたようだった。
そしてその試合から2日後、ファジの選手たちは岡山駅東西連絡通路で、豪雨の被災者支援のための募金活動をおこなった。これこそ岡山という地域に根差したクラブだからこその活動。ファジは岡山とともにあるのだ。
それから1週間後、7月16日海の日。ファジは豪雨災害以来初めてホームCスタでの試合を闘うこととなった。相手は現在J2首位の松本山雅FC。
「今日の相手は松本かー。前のアウェイでは引き分けじゃったけど、今日はファジに勝ってほしいのー」
「そうじゃのー。地元の被災民に元気をあげてほしいわ」
スタジアム前広場で、わたしとユッカが話を交わす。
この日スタジアム前広場では、先日の岡山駅構内同様に、ファジの選手たちが豪雨災害への募金活動をおこなっていた。
「あ、ここでもファジの選手たちが募金やっとる」
わたしがそう言うと、ユッカがすかさず補足するように言葉を返した。
「ファジだけじゃのうて、バレーボールのシーガルズもおるし、新しゅうできた卓球の岡山リベッツもおるわ」
「岡山リベッツって?」
「知らんのん? 今年10月から新しゅう始まる卓球のプロリーグ、Tリーグのチームじゃ。ここの近くにある岡山武道館をホームにするんじゃって」
「ふえー、そねんなもんができるんか」
ファジアーノ岡山、岡山シーガルズ、岡山リベッツ、その他岡山に拠点を置くスポーツチームの選手大勢が募金を呼びかけていた。競技の枠を超えての活動だ。彼らの目的は、競技に関係なくただ「岡山のために」! もちろん、わたしたちも彼らの思いに答え、募金箱に少ないながらお金を入れた。
スタジアム内に入ると、松本サポさんたちが座るアウェイ席に、手書きの横断幕が見えた。こう書かれていた。
「心ひとつにがんばろう 晴れの国岡山」
これを目にしたわたしは、うれしさの余り涙が出そうになった。思わずわたしの口から率直な思いが出てくる。
「うれしゅうなるが! あねえなの掲げられると!」
「ほんまじゃ! ココロヒトツニって、あたしらの合言葉で岡山を応援してくれよる!」
ユッカも感激している様子だ。
「ココロヒトツニ」これは我がファジのサポーターが試合開始前にいつも掲げるビッグフラッグに書かれている文言だ。いわばファジサポの共通理念ともいえる言葉。それを松本サポさんが掲げてくれたのだ。敵なのにここまでしてくれる松本サポさんたちの心づかいに、感謝せずにはいられなかった。
「粋なことしてくれるわ、松本サポさん」
「松本サポさんには感謝じゃけど、試合は別じゃ。今日はファジが勝たせてもらうでえ」
一方、ファジ側も前回の試合で掲げられた「来れないやつらの分まで」の横断幕を掲げていた。ホームでの試合といっても、まだこのCスタへ行くことすら難しい人たちがいるのだ。
そして大型映像装置には「がんばろう岡山」の文字が。
「がんばろう岡山。ファジとともに岡山全体ががんばっていくんじゃな」
「復興していくために、けえこそ『ココロヒトツニ』じゃの」
映像を目にして出たわたしの言葉に、ユッカも続いた。
試合は両者互いに粘りを見せたものの、0-0のスコアレスドローで終わった。
「あーあ、結局引き分けじゃったかー」
「せえでも、ファジが首位相手に点を取らせんかったんは立派じゃ。負けとらんし、勝ち点1を取ったんよ。少なくとも岡山の人たちへの励ましとはなったはずじゃ」
少し後ろ向きの気持ちになったわたし、対して前向きの気持ちでいるユッカ、対照的なふたりがそこにいた。
この日、ファジサポのみならず松本サポさんも多数の義援金・支援物資を持ち寄ってくれて、まさしく復興支援試合の様相をなしていた。
「ねえユッカ、こういうときに敵味方関係なく手を取り合うのって『ノーサイド精神』いうんじゃったっけ。あと『ひとりがみんなのために、みんながひとりのために』じゃったかな」
「カナ、それ、サッカーじゃのうて、ラグビーの言葉よ」
「あ、そうなん?」
岡山の被災地はきっとよみがえる。それを確信できた7月16日の試合だった。
松本との試合から約2週間後の7月29日、この日はCスタで18時から徳島ヴォルティスとの試合が開催される予定だったが、前日に中止が発表された。台風12号が接近し、岡山への直撃が予想されるためだった。先日の豪雨からまだ日が経っていないうちでの台風接近。多少の不安を感じた。
しかし台風は午前中に岡山を通り過ぎ、午後には晴天が広がった。
「カナー、今日試合開催できたわなー」
「しゃあないわ。前もって安全を考えたら、早いうちでの中止決定はやむを得んじゃろー」
その日の午後、ユッカとわたしはそれぞれの自宅にて、電話で話をしていた。試合観戦に行く予定だったが、台風予報と試合中止発表を受けて、自宅待機に変更したのだ。
「じゃけどなー、今もう晴れとんのに」
「せえに、午前中はまだ風が強かったがー。徳島から来る人たちは瀬戸大橋渡って行くんよ。あの風じゃ通行止めになるに決まっとるわ。じゃったら徳島サポさんたち、こっちへ来られんがー」
「あ、言われてみりゃあ、そうじゃな」
「あと、ファジフーズのテント。今日みたいに風が強かったら、吹き飛ばされるかもしれまあが」
「あ、せえは危険じゃな」
「じゃけえ今回は試合中止でえかった、ってことじゃ。そう思おうえー」
「うん、残念じゃけど、しゃあないな」
ユッカもわたしも試合中止を受け入れ、その日はおとなしくそれぞれの自宅で過ごした。しかし、わたしはこう思わずにはいられないのだった。
「もう!『晴れの国・岡山』で、なんでこねんに雨や台風に振り回されにゃあおえんのっ?」
8月に入ってから、わたしたちはさすがにCスタでの試合を毎回観に行くことはなくなった。受験まであと半年となり、やはり勉強のほうを優先せざるを得ない状況だ。
観戦に行きたいのを我慢して夏季講習に通うわたし。そんなわたしをさらにユウウツな思いにさせる事件が、8月18日に起こってしまった。アウェイ金沢での試合で、ファジのサポ数人が観客席の柵を乗り越える行為に出たというのだ。
その事件を知って、わたしは大きなため息が出た。前年も岐阜でファジサポ数人が柵越えをやって他のサポと口論になる一件があったのに、今年また同じようなことがアウェイで起こったのか、と。
わたしはすぐさまユッカに電話し、この事件に関しての談義をした。
「おえんわ、あんなん。ファジ運営が『観戦はマナーを守って』って呼びかけたばあなんに、柵越えなんかして」
「うん、カナに100パー同意。アウェイであんなんするやこ、岡山の恥じゃ」
「ああいうことになると『岡山の人間は非常識』って色眼鏡で見られて、肩身がせもうなるわな」
「ほんま迷惑。あたしらは真剣に試合観て応援しょうんのにな」
「迷惑サポは出禁じゃ、出禁」
ユッカとわたし、思いは100%同じ。そして案の定、事件の当事者たちはクラブからスタジアム出入り禁止の処分を受けたのだった。
一部のサポの身勝手な行動のために、大部分のファジを好きな人たち、ファジを心から応援する人たちのイメージまでもが損なわれるのだ。スタジアムに行くサポたち、特にアウェイのときには「自分たちは岡山の代表」という自覚を持っていてほしい。わたしの率直な願いだ。
激しい雷雨で試合が中断したり、地元で豪雨災害が発生したり、台風のために試合が中止になったり、一部のサポがアウェイで暴走したりした、5月から8月にかけてのファジ。加えてわたしの場合は個人的に、キジさんの死やユッカとのケンカもあった。実にいろいろなことがあった約3か月間だった。
5.
2018年、この年はここ岡山での豪雨の他、様々な災害が日本列島を襲った。9月に入ってからも、それは勢いをゆるめなかった。
9月4日、台風21号が関西地方を直撃し、関西国際空港が水浸しとなった。その映像がテレビに映し出され、ついこの間自分が住む地で起こった水害の記憶が鮮明によみがえってきた。あのときの状況とほぼ同じだ。あのような光景を、一度ならず二度までも目にしてしまうとは……なんという年なのだ2018年は。加えて空港への連絡橋にタンカーが衝突するなどして、もうとにかくすさまじいものを見た思いだ。
さらにそれから日を置かずに9月6日、今度は北海道で大きな地震が起こった。北海道といえば、その地をホームタウンにしている北海道コンサドーレ札幌。わたしが2年前に初めてCスタへ行ったときのファジの相手が、この札幌だった。
2年前の札幌はJ2で、その年J2首位を突っ走り最終的にJ1昇格を果たした。それほどのクラブとファジの対戦が、わたしにとって初のサッカー観戦。あのときの試合結果はスコアレスドロー。記憶にしっかりと焼きついている。それだけに北海道の状況が気がかりでならなかった。
そんなこんなで、いろいろなことがあった2018年。ついにファジのシーズン最終戦の日がやってきた。
11月17日、ファジアーノ岡山 vs 大宮アルディージャ。この試合、Cスタでの最終戦開催ということで、たとえ受験生の身であっても観に行かないわけにはいかなかった。
1週間前の天気予報では雨と出ていたこの日、それを跳ね返すかのような秋晴れのいい天気。2018年最後の試合にふさわしい天気となった。
「今年もJ1昇格おえんかったなー、ファジ」
「ほんまになー、開幕当初はいけるんじゃねえんかって思うたけどなー」
「ケガ人があまりに多かったわな。試合のたびに誰かがケガして離脱。その選手が復帰したらまた誰かがケガ。この繰り返し。主力が次々離脱する状況で、満足な試合やこできるわけないわなー」
「ま、また来年に期待、じゃの」
スタジアム前広場で、いつものとおりファジフーズに舌鼓を打ち、話をするユッカとわたし。
「監督さん、この試合をもって退任じゃってな」
「寂しゅうなるのー。2年前の昇格プレーオフ進出のときが最高じゃったな。監督さんはほんま、ここまでようやったと思うわ。お疲れさま、って言うてあげてえな」
「カナ、その言葉はまだ早えで。まだあと1試合、今日の試合が残っとるんじゃけえ」
「あ、そうじゃな」
「せえと、プレーオフゆうたら、今日の相手の大宮が今7位で、J1参入プレーオフ進出かけて試合に臨むんじゃわな。2年前のファジに似とるわな」
「ヒヤヒヤしたわなー、あのとき。ファジ、最終戦でなんとか引き分けに持ち込んで、プレーオフ進出決めたんよな。今日は大宮さんが、その心境にいるってことじゃな」
「悪いけど、今日大宮にはその願いをあきらめてもらうわ。最後ぐらい勝って締めてえけえの」
ユッカはそう意気込んでいた。
試合が始まった。この日のCスタ、かなりの数の大宮サポさんたちがやって来ていた。やはりJ1参入プレーオフ進出がかかっているだけあって、なんとしても勝ってもらいたい思いが強まってきたのだろう。大宮サポさんたちの怒涛のような応援が鳴り響く。
対する我らがファジも、同様に応援の声を高めていった。2018年ファジ最後の闘いの舞台を、両者サポの懸命な応援の声が包んでいく!
キジさん、聞こえていますか――届いていますか――
今、この場の、この歓喜が――
2018年ファジの最終戦、結果は 岡山 0-1 大宮。ファジは最後を勝ちで飾ることはできなかった。
大宮は退場により選手をひとり欠きながらも、意地でファジから1点をもぎ取った。それが決勝点となった。ファジは何度も攻めに攻めていって、得点のチャンスを作っていったものの、ことごとく得点に至らなかった。それゆえの負けだ。
「あ、大宮、5位に上がった。プレーオフ進出決定じゃわ」
試合終了後、ユッカが携帯電話の画面に映る試合速報をのぞきこみながら言った。これには素直に「よくやった」と言おう。
今年のファジの成績は14勝11分17敗で、最終順位は15位。今年もまたシーズンが終わった。
「さーて、今年のシーズンも終わったのー」
「うん、こうして最終戦を見終わったら、今年もあともう少しって感じるわなー」
試合後の最終戦セレモニーで、選手たちが観客へのあいさつを兼ねてスタジアムを一周している間、わたしはユッカと観客席で話をしていた。
「でも、わたしたちはまだ終わりじゃねえんよ。これからはいよいよ受験に向けて勉強第一でいかんと」
「あー、そうじゃわなー」
「せえに、受かったからって、せえもまたせえで終わりじゃあねえわな。次の学校へと行って、そこからがまた新たな始まりじゃわな」
「まるでJ2からJ1へ昇格するようなもんじゃの」
「えっ?」
「もしおじいちゃんが生きとったら、こう言うたじゃろうな。『J1昇格したからいうて、そこで終わりじゃねえんぞ。そこからが始まりなんぞ。重要なんはその始まりなんじゃ』……って」
「あはっ、キジさんじゃったら、ほんまにそう言いそう」
そうだ。仮にファジがJ1昇格したとしても、そこで満足してはいけない。J1に上がってからが新たな始まりなのだ。まあ、その前に昇格できる成績を残すのが先ではあるが。
これからわたしたちは、受験勉強に専念することとなる。それはJ2からJ1への昇格のごとき労力を要することだろう。しかし何も恐れることはない。ただただ自分の力を信じるのみだ。来年の春、笑顔となるために――
6.
「もしもし、ユッカ、元気しとったー?」
「おー、カナ、こっちも変わらず元気じゃ」
電話の向こうから、ユッカの元気な声が聞こえる。
「ユッカ、どねんなん、歯科衛生士学校」
「もー毎日大変じゃー。実習に講義に、次から次へとやることが波のようにブワッとやってきて。もう目が回りそうじゃ。その点、カナは大学じゃけえ気楽そうじゃのう」
「そねえなことねえわ。大学でも外国語学部はけっこうハードなんよ。月曜から金曜までびっちり語学演習の講義が組まれとって、そねえに余裕あるわけじゃねえんよ」
「はあー、せえはせえで大変そうじゃな。あ、せえとカナ、あんたひとり暮らしでも、ちゃんと歯みがいとん?」
「言われんでも毎日みがいとるわ」
「ならええけど、せえでも半年に一度は歯医者行かれえよ。大学は歯科検診やこ、ねえんじゃろ」
「ユッカ、早くも衛生士気取りじゃな」
年が変わり2019年の春、わたしたちは高校を卒業し、4月からそれぞれの道へと行った。新しい学園生活へと入ったわたしたちは電話を通じて、高校のころと同じように会話を交わしていた。
「で、ユッカ、ここからが今日の用件なんじゃけど」
わたしは話を切り出した。
「なになに?」
「今度の連休、わたし岡山へ行って、ファジの試合観に行こうと思うとるんよ。大阪引っ越してから試合観んようなって、そろそろ禁断症状出てきだしたから」
「ほんま!? じゃ一緒に行こう行こう! あたしは元々観に行くつもりでおったけえ、ちょうどええわ」
「やっぱりの。ぜってーそうじゃと思うとった」
「あ、あとその日、あたしの衛生士学校の友達ふたりを連れてきてええかの?」
「ユッカの友達? ええよ。人数多けりゃにぎやかで楽しそうじゃし。で、その友達ってサッカーファンなん?」
「いやいや、そうじゃねえんよ。その子たち、あたしがファジの応援しとるって聞いたら、どうやらファジに興味持ち始めたみてえで。せえで今回その子たちをCスタへ連れてって、サッカー観戦がどねんなもんなんか、味わわせてあげようと思うとるんよ」
「あー歓迎歓迎! その子たち連れてって連れてって。ファジを応援してくれる人が増えるんは、ええことじゃ」
「よっしゃ、じゃ当日楽しみにしとるで」
「んじゃその日までー。せえじゃあのー」
ひさびさにユッカとのCスタでの観戦。わたしの心は弾んでいた。
連休、Cスタでファジの試合が開催される日。わたしは大阪から新幹線で岡山まで行き、JR岡山駅新幹線改札口をくぐった。ここで目に映るのが、アウェイ客を歓迎する貼り紙。こう書かれている。
「ようこそ岡山へ! シティライトスタジアムは、あちら運動公園口(西口)方面です。一緒に応援しましょう!」
こういうのがあったんだ。つい最近までこの岡山がわたしの地元だったから、気がつかなかった。
「カナーーーー!!」
ユッカが手を振りながら、わたしを呼んでいた。
「あー、ユッカーーーー!! ひさしぶりーー!!」
わたしも手を振り返し、ユッカの名を呼んだ。ユッカの両隣には、以前ユッカが言っていたふたりの友達がいる。
「クーコ、モモ、この子が前にあたしが言うとった、あたしの高校時代からの友達」
ユッカは友達ふたりにそう言った。
「はじめまして。兼基久子(かねもと ひさこ)です」
「はじめまして。清水小桃(しみず こもも)です」
ユッカの友達ふたりはそれぞれ、軽く頭を下げながら自己紹介をした。それを受け、わたしもふたりに自己紹介で返す。
「あ、はじめまして。わたし藤原奏恵といいます。さっきユッカも言うとったけど、ユッカとは高校時代からの友達で、今は大阪に住んどって、大学通うてます。よろしくお願いします」
「もー! カナもクーコもモモも、みんな堅い堅い!!」
ユッカが強い口調で言った。
「あたしらみんな同い年なんじゃけえ、そねえに堅苦しゅうするこたねかろう? もっとソフトにいこうえー、ソフトに!」
ユッカのその言を受けて、言うとおりソフトにいくことにしたわたしは、ユッカの友達ふたりにこう言った。
「じゃわたしのこと、気軽に『カナ』って呼んで。ユッカが言うとおり、ソフトにいこ」
このセリフ、どこかで聞いたことがあるような……あ! そういえば、キジさんがわたしに初めて会ったとき、キジさんはこういうことを言っていたっけ。
――「あ、ワシのことは気軽に『キジさん』と呼んでくれてええで。堅苦しゅうせんと」
今、わたしはまさに、当時のキジさんと同じようなことを言っている。
「カナもこのふたり、遠慮なく『クーコ』『モモ』って呼んでええけえな」
ユッカが言う。わたしはすかさずそれに答える。
「うん、よろしく、クーコちゃんにモモちゃん!」
「よろしく! カナちゃん!」
クーコちゃんとモモちゃんが、一斉にわたしに言ってくれた。
「クーコちゃんとモモちゃんの、ファジに興味持ったキッカケは?」
岡山駅からCスタまでの道、通称ファジロードを歩きながら、わたしはたずねた。まず答えたのはクーコちゃん。
「ウチ、スタジアムにファジフーズっていう種類ぎょうさんの食べものがあるって聞いて、ぜひ食べてえ!って思うて、せえでユッカについてきた」
「クーコ、食いしんぼさんなんよ。まさに『食う子』じゃ」
ユッカが口をはさんだ。
「えへへ」
クーコちゃんはおどけて舌を出した。
「わたしは、テレビのローカルニュースでファジアーノの選手がよく取り上げられてて、イケメンが多いなって感じて、せえでスタジアムへ観に行ってみようかな、と思って」
そう言ったのはモモちゃん。すかさずユッカが再び口をはさむ。
「モモは大のイケメン好き。メン食いさんじゃ」
ユッカはさらにこう言った。
「いっぱいの食べものに、イケメンぞろい。Cスタならこのふたつの要素が見事に含まれとるから。じゃったらお誘いするしかねかろう」
「でも、メインはスタジアムでの試合じゃろ」
わたしはユッカに問うた。
「せえは確かにそうじゃけど、試合以外の要素から入ったってええんじゃねんかな」
「えっ」
「このふたりみたいに、キッカケがどねんな形じゃろうと、まずはファジに興味持ってもらう。ファンを広げていくのには、せえがまず大事なんじゃねんかな」
ああ、言われてみれば確かにそうだ。何かを好きになるキッカケなんて、数えきれないほどある。そうだ、重要なのはキッカケよりも、その先いかに多くの人が興味を持ち関心を抱き、好きなものを共有できるか、ではないか。
「ユッカの言うとおりじゃな。クーコちゃん、モモちゃん、今日Cスタで初観戦して、これからファジに興味持ってくれるとええなー」
わたしたちがそんな話をしながら歩いているうちに、ジップアリーナが見えた。Cスタはもうすぐそこだ。
「おー、これがウワサに聞くファジフーズ!! デミカツ丼があるし、ホルモンうどんもあるし、千屋牛の串焼きまで!! ほんまに種類豊富なんじゃな!!」
「ファジアーノの選手たちが全員写っとる、でっかい写真がある!! あーやっぱりイケメンぞろいじゃー!!」
Cスタに着くなり、クーコちゃんとモモちゃんがいきなりテンションを上げていた。
「イケメンをバックにして、記念写真撮りたいわー。ユッカ、撮ってくれる?」
モモちゃんはそう言って、自分の携帯電話をユッカに差し出した。ファジの選手全員と監督が写っている大型写真は中央にイスが置かれており、ここに座って選手・監督といっしょの記念写真を撮影できるのだ。
「ありがとー! これは記念になるわー」
大型写真をバックにして座るモモちゃんをユッカが撮影すると、モモちゃんはウキウキ気分となっていた。
「はよファジフーズ行こうえー! ウチもうお腹ペコペコじゃー!」
今度はクーコちゃんがせかした。それに呼応するように、わたしは言う。
「ファジフーズでまず食べるんなら『ファジきっチキンと勝つカレー』じゃ」
「えー、カレー? そんなんいつだって食べられるがー」
「ただのカレーと違うんよ。ぼっけえ大きなチキンカツがのっとんじゃけえ」
「ほんま? じゃそれ、食べてみようかの。カナちゃんがすすめるんなら」
ああ、今のクーコちゃん、まるで約3年前のわたしを見ているみたいだ。
思えばわたしも、初めてファジフーズをいただく際、ユッカからチキンカツカレーをすすめられた。最初気が進まなかったのだが、ユッカがしきりに推すので結局注文した。そのカレーは上にのるチキンカツが想像以上に大きくて、衝撃を受けたのだった。
「屋台があるし、こどもの遊び場があるし、青空市みたいなのもあるし、ここまるでお祭りみたいじゃな」
モモちゃんがスタジアム前広場を見回しながら言った。このモモちゃんの言葉も、わたしが初めてここに来たときに抱いた思いと同じだ。
ふたりが3年前のわたしと重なる。もうあれから3年がたとうとしているのか。そして、かつてわたしたちのそばにいてくれていたキジさんが天に召されてから、もうすぐ1年――

「予想以上のインパクトじゃったわー、ファジきっチキンと勝つカレー」
「じゃろ、じゃろ? わたしも初めて食べたとき、カツが大きゅうて仰天したもん」
「で、クーコ、あんたチキンカツカレー食べて、そのあとデミカツ丼食べて、今度はホルモンうどんと千屋牛串とヨメナカセ食べよんかな。あんたの胃袋、どねえな構造になっとんよ?」
「ほんま色気より食い気じゃのー、クーコは」
ファジフーズ屋台前の花壇の縁石に座り、食事タイムを満喫するわたしたち。そこでクーコちゃんとモモちゃんを見て、わたしはふと思った。
3年前はお誘いを受けて引っ張られる立場だったわたし。それが今では、新たにファジに興味を持った人たちを引っ張る立場にある。当時のキジさんやユッカと同じようになっている。
天国のキジさん――わたしはまだまだキャリアの浅い一サッカーファンです。キジさんの域には到底及びません。けれど、それでもわたしはひとりのファジが好きな者として、ひとりでも多くの人にファジを好きになってもらいたい、そう願います。あなたもきっと賛同してくれますよね、キジさん――
「さあ、ほんならいよいよスタジアム内に入るでえ!」
「おーっ!!」
ユッカの呼びかけに、クーコちゃんとモモちゃんが声を上げた。どうやら場の雰囲気に乗ってきた様子だ。
クーコちゃんとモモちゃん、きっとファジを、Cスタを好きになってくれることだろう。そう確信できる。3年前のわたしがまさにそうだったのだから。ファンの輪はここから広がっていく。そうしてファジは支えられ続けるのだ――
ここは中国地方の一角、瀬戸内海側に位置する岡山県。
この土地に、エンジ色の服に身を包む戦士たちがいる。
日本の国鳥であるキジの名を冠した、誇りある集団。
地域の人々に支えられ愛される、我らが街のJリーグクラブ。
それがファジアーノ岡山。
岡山の誇りとして、ファジアーノ岡山が未来永劫あり続けますように――
(おわり)