いざなわれてファジアーノ

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 サッカーなんて、あまり興味なかった。
 自分が住んでいる地のJリーグクラブさえ、よく知らなかった。
 なのに――気がついたら夢中になっていたんだ――
 これは、そんなわたしのお話。


「カナー!」
 親友のユッカがわたしを呼んだ。それは2016年6月の終わりごろ、わたしが通う高校の休み時間の教室でのことだった。
「なーに?」
「あんなー、来月、7月の16日になー、Cスタでファジの試合があるんじゃけどー」
 いきなりユッカからそんな言葉を聞かされて、わたしはわけがわからなくなった。Cスタ? ファジ? いったい何のこと?
「ユッカ、何の話しょうん?」
「あ、ごめんごめん。7月16日土曜日に、運動公園の中にあるスタジアムで、サッカーの試合あるんよ。カナも一緒に観に行かん? って思うて」
「ええ~、サッカ~~?」
 サッカーにあまり興味のないわたしは、いかにも嫌悪の表情といえる顔つきをしてみせた。しかしユッカは食い下がることなく、わたしに訪問販売のごとく誘いをかけてくる。
「そねえ言わんでなー。一度見てみたら、おもしれえけえ」
「んー……でも、気が進まんわあ」
「とにかくー、ええから一緒に行こうえー、7月16日。この日なー、Cスタは高校生に限り入場無料なんよ! タダで入れるんじゃけえ、行って観るだけでも損はねかろうがー?」
 入場料タダ? んー……まあ、それなら一緒に行ってもいいか。おもしろくないのに金払わされて損することがないってのなら。そう思ったわたしはユッカに返答した。
「んー、じゃ一緒に行くわ。7月16日じゃったっけ」
「そっ、その日の夜。ナイターの試合よ」
「ナイター! 夜中にサッカーの試合なんかするん?」
「当たり前じゃろ。カナ、日本代表はほとんど夜に試合やっとってテレビ中継されとるんに、知らんのん?」
「じゃってわたし、サッカーの試合やこ、あんまり見んもん」
「そっかー……じゃあファジの試合もナイターであるやこ、知らんわな」
「ねえ、その『ファジ』ってなんなん? あと、さっき言うとった『Cスタ』ってのも」
「え! カナ、我が岡山の誇りともいえる、ファジアーノ岡山を知らんのん!?」
 わたしがうなずくと、ユッカが思い切り信じられないと言わんばかりの顔を見せた。じゃってこっちはほんまに知らんのんじゃけえ仕方ねえが。わたしがそんなことを思っていると、ユッカは気を取り直した様子で、わたしと面と向かって説明を始めた。
「あんな、ファジゆうんは、ここ岡山をホームとするJリーグのクラブ『ファジアーノ岡山』のこと。そしてCスタゆうんは、岡山の運動公園の中にあるスタジアム『シティライトスタジアム』のこと。岡山市民なんに、けえも知らんとは思わなんだわ」
「運動公園のスタジアム……そこ『桃太郎スタジアム』って名前じゃないん?」
「カナ! いつの話しとん!? 今はもう名前変わっとんよ」
「え、そうなん?」
 何から何まで、わたしが知らなかったことばかり。岡山にプロサッカーのチームがあることも、桃太郎スタジアムが名前を変えていたことも。
「まああたしとしては、一度Cスタに行って、カナにもファジのこと知ってほしいなーて思うんよ。行ってみたら、きっと多かれ少なかれ楽しめるとは思うけえ。あ、あと当日は、うちの家族のひとりが一緒に行く予定じゃけえ、そのつもりでよろしゅうな」
「わかった、ええよ」
 正直、このときはあまり乗り気ではなかった。ユッカと親友としてのつき合い程度に考えていた。このときは――


 2016年7月16日土曜日の14時50分、運動公園入り口そばの体育館前。
 わたしはユッカと事前に約束した場所に、約束の時刻15時に合わせてやってきた。運動公園なんてもうしばらく行ってなかったけれど、ここの体育館「ジップアリーナ」って名前になっていたんだ。何もかもがわたしの知らない間に変化していく。それはそうと、ユッカはもう来てるのかな? 家族のひとりと一緒に来るって言ってたけど、父親? 母親? それとも兄弟姉妹か。
「カナー!!」
 わたしの背後から声が聞こえた。これはユッカの声だ。とっさにわたしは振り向いた。視界にユッカの姿が入ってきた。ユニフォームを着ている。おー気合入っちゃって。
 そしてその隣にもうひとりの人間がいることも確認した。この人がユッカのつき添いか。どんな人だろう。え、ええっ? この人……
「カナ、待った?」
「あ、ユッカ、その……その人……」
「あ、これ、あたしのおじいちゃん!」
 驚きだ。家族のひとりが来るっていうから、てっきり両親か兄弟姉妹かとばかり思っていた。まさかおじいさんが一緒に来るとは。見たところ70歳を過ぎたくらいだろうか。
「こんにちは、はじめまして」
 そうわたしに話しかけてきた、ユッカのおじいさん。この人もユッカと同じようにユニフォームを着ている。サッカー応援に来る人って若い人が多いイメージあるけど、こういうお年寄りのファンもいるのか。
「あ、はじめまして。わたしユッカの友達で、藤原奏恵(ふじわら かなえ)っていいます。よろしくお願いします」
「結香(ゆいか)の祖父、高屋雉太郎(たかや きじたろう)です。よろしく」
 おじいさんとわたしは互いに軽く頭を下げた。するとユッカが言った。
「もー、おじいちゃん、そねえにかしこまらんでもええがー。あたしの友達なんじゃけえ」
「おお、そうじゃの。ははは」
 なんだか微笑ましく見える祖父と孫娘の会話だ。
「まあ、今日は一緒に楽しく過ごそうや、奏恵ちゃん」
「はい」
 わたしもついうれしくなって、大声で返事をした。

 ユッカとおじいさんとわたし、3人は運動公園内を歩いてシティライトスタジアムへと向かっていた。歩きながら、わたしはおじいさんに話しかけた。
「あの、おじいさん」
「あ、ワシのことは気軽に『キジさん』と呼んでくれてええで。堅苦しゅうせんと」
「じゃあお言葉に甘えて……キジさんはここへよく来られるのですか?」
「うむ、よう来るでえ。なんと言うても、ワシはファジの熱烈ファンじゃけえの」
「熱烈……お若いですね……」
 高校生の孫がいる歳となっても、老いを感じさせない。キジさんから元気が伝わってくる。
「で、あたしもおじいちゃんにつられた格好で、ファジのファンになったようなもんなんよ」
 ユッカが言った。
「おじいちゃん見とると、なんだかこっちも応援したくなってきて。せえであたしも、おじいちゃんと一緒にここへ行って、楽しませてもろうとんよ」
「へえ、キジさんから不思議なパワーでも出とんじゃろうか」
 わたしがそう言うと、ふたりから笑いが出た。わたしも一緒に笑った。不思議なパワー。あまり興味なくここへ来た今日のわたしも、はたしてユッカのように応援したくなるのだろうか。
 しばらく歩くと、目的地のシティライトスタジアムがちらりと見えた。わあ、あそこあんなに立派な建物だったっけ。本当、知らない間に何もかもが変わっているのだな。
「さあ、もうすぐじゃわー、Cスタ」
 ユッカははしゃいでいた。そんなユッカに、わたしはそれとなくこう聞いた。
「ねえユッカ、試合開始は19時じゃろ。まだあと4時間もあるがー」
「ちっちっちっ、サッカー観戦はの、ただ試合を見るだけが楽しみじゃないんよ。試合前にも楽しみがぎょうさんあるんよ。ねーおじいちゃん」
「うむ、結香の言うとおりじゃ。こうやって早めにスタジアムに行くと、せえはせえで楽しいもんじゃぞ」
 ユッカとキジさん、ふたりがそう言う。試合前の楽しみ、どんなのだろう。
「着いたでー!」
 ユッカが無邪気な声を出した。その声とともに、わたしの目の前に現れたものは――

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「うわー!! 何これ!!」
 ここはスタジアム前の広場。その場所で、わたしはただただ驚いた。目の前にあるのは、10軒ぐらい連なっている屋台。まるで今日ここで夏祭りがおこなわれるような、屋台の行列だ。これ本当にサッカーの試合する場所なのか。
「ね、ここ、サッカーの試合場じゃろ? お祭りみたいな雰囲気なんじゃけど……」
「まあ、それに近いもんがあるわね。試合のときはいつもこんなよ」
 そう答えるユッカ。新鮮なものを目にしたことで心が躍りだしているわたしに対して、ユッカがこの光景の説明を始めた。
「ここにある店全部、ファジフーズって言うんよ。Cスタで試合おこなわれるときに開店して、試合観に来たお客さんにいろんな食べ物販売するんよ」
「ほえー……」
 わたしは思わず気の抜けた返答をしてしまった。試合ひとつやるだけで、こんなにも多くの屋台が出てくるのか。
「あ、そうじゃ! カナは今日初めてここに来たけえ、ファジフーズで食べる前に、このへん一帯がどねえなんか、案内しようえー」
「お、そうじゃのう。スタジアム周辺の雰囲気を奏恵ちゃんに味おうてもらわんと」
 ユッカとキジさん、ふたりの言に引っ張られる格好となったわたしである。

 ふたりの案内で、まず最初に見たのは大型写真パネル。ファジアーノの選手たちが勢ぞろいして写った写真だ。真ん中にイスが置いてある。そうか、ここに座って記念写真を撮るのだな。
 ファジフーズの屋台の裏側へ行くと、こどもたちがサッカーボールを使ったゲームらしきものをやっている。
「これは何?」
「サッカー検定よ。こどもがキックターゲット・ジグザグドリブル・シュートスピードをやって、サッカー技術がどのくらいかを見るんよ」
 その隣には、スーパーボールすくいやヨーヨーつりといった、縁日ではおなじみのゲームがある。
 またその隣には、ミニSL。小さなこどもたちを乗せてのんびりと走っている。
 またまたその隣には「ふわふわ」中に入ってピョンピョンはねて遊ぶ巨大風船だ。わたしも小さい頃これに入って遊んだことある。
 とにかくやっぱり、ここお祭り会場だ! 
「ここら辺、こども向けのものが多いねー」
「家族連れも多いけえのう。せえとサッカー検定のように、こどもたちにサッカーへの興味を持たせる意味でやっとるもんもある。こどものための催しがある場所は、総じて客全体のことを考えとる」
 そうキジさんが言う。お年を召した方が言うと、妙に説得力がある。
 さらに北方向へと進んでいくと、いくつかエンジ色のテントが張られている場所へと来た。ここはグッズショップのようだ。そうか、ここでユニフォーム等を買うのだな。
 このように、スタジアム前の広場内は、出店やイベントスペースで埋まっていた。お祭りに青空市が融合したような雰囲気が、ここ一帯を包んでいる。わたしはそう感じた。
「さあ、ひと通り見たけえ、いよいよファジフーズ、食べようえー!!」
 ユッカの元気あふれる呼びかけに、わたしは反応した。
「おーっ!」
 あ、なんかこの場の雰囲気に乗ってきたかな、わたし。

「ええ~? カレー? ここにまで来て?」
「そう言わんで、一度たのんでみられー。ぜってー納得できるけえ」
 ファジフーズのカレーの屋台の前で、ユッカとわたしはそんな会話をしていた。で、渋々わたしはテントの前に並んだ。ここにまで来て、何もいつでも食べられるようなものを食べなくてもいいのに、と思いながら。
 わたしたちの番が来て、ユッカがわたしとの2人分を注文した。
「チキンカツカレー、ふたつー」
「はいよ」
 品はすぐに出てきた。そのチキンカツカレーを見て、驚き!
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「うわー、なんよ、このぼっけえ大きなカツ!」
 わたしの口から、とっさにその言葉が発せられた。カレー自体は見たところ普通なのだが、驚いたのはその上に乗っかっているチキンカツ。これがライス全体を覆いトレーからはみ出すほどの大きさだったのだ。カレーを指さしてユッカが言う。
「へへー、これぞCスタファジフーズの人気メニュー『ファジきっチキンと勝つカレー』!」
「はー……見ただけででえれえボリュームありそう」
 名前のセンスはいかがなものかと思いはしたものの、これはたのんで得した気分だ。ユッカの言うとおり、納得できた。
 わたしたちがカレーを購入していたそのころ、キジさんは別のテントにて「ファジ丸トントンラーメン」を購入していた。へー、ここラーメンも販売されているのか。
 キジさんとわたしたちが合流し、広場内の花壇の石縁に座って食事タイム。このカレーすごくおいしい。上に乗っているチキンカツが大きくボリュームあって、このカツがまたカレーソースによく合う。これだけでも満足できそうだ。
 わたしの横では、キジさんがラーメンをすすっている。
「ほー、やはりこのラーメンはスープが最高じゃー」
 感想を述べるキジさんの横から、わたしはそのラーメンをのぞいて見る。トンコツスープだ。すかさずたずねる。
「そのラーメン、そんなにおいしいんですか」
「おー、スープがあっさりしとってのう。またこのチャーシューが柔らこうてうめえんじゃ。なんで歳がいって歯が弱うなったワシでも食えるときた」
 それを聞いてわたしも食べたいと思った。どうしてなのだろう。スタジアムの食事が、こんなにもおいしそうに感じられるとは。
 わたしはカレーを食べ終えると、すぐさま立ち上がった。
「今度は、キジさんが食べていたラーメン、食べるっ!」
「えー、さっきカレー食べたばかりじゃがー。まだ食べるん?」
「うん! ラーメンもおいしそうじゃもん」
「よしたほうがええよー。お腹パンパンになるよー」
 ユッカの制止を振り切り、わたしはラーメンの屋台へと向かった。
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 ラーメンが入った器を手にしたわたしは、まずスープをひと口すすった。トンコツだけどしつこさが少ない。でもトンコツの風味はしっかりとある、おいしいスープだ。これなら飲み干せてしまえそうだ。そのスープに麺がからんで、これがまたおいしい。具のチャーシュー、キジさんが言っていたとおり、すごく柔らかくて口の中でトロリと溶けているような感覚だ。
 思い切ってラーメンも食べてよかった! 食べたいものを食べることができて、わたしに後悔はない。でも……
「うぷ……」
 さすがにカレーとラーメンを続けて食べたことで、わたしの胃は満杯の状態。少し腹が苦しくなった。
「大丈夫かの、奏恵ちゃん」
 腹を押さえるわたしに、キジさんが心配そうに声をかけてくれた。一方ユッカが発したのは、お叱りの言葉だ。
「じゃけえ言うたがー、よしたほうがええって。そねえにお腹いっぱいじゃ、デザートのスイーツが入らんようなるがー」
「スイーツまであるん!?」
 わたしの瞳は輝いた。ここではスイーツまでも販売されているのか。わたしだって甘い食べ物には目がない女の子。ならば満腹でも食べたいと思うのは必然。すかさずユッカにこう言った。
「食べる! スイーツあるゆうんなら、食べる!」
「お腹いっぱいなんに?」
「デザートは別腹なんよ!」
「ゲンキンじゃのー」
 ユッカとわたしは一緒にスイーツの屋台へと向かった。その途中でちらっと見たが、いや本当にあらゆる食べ物が販売されているのだな、このファジフーズというのは。他にも千屋牛の串焼きやホルモンうどん、さらにはデミカツ丼まである。バラエティに富んでいると言える。
 スイーツの屋台にたどり着くと、ユッカが説明してくれた。
「ここで売られとる『ソフテリア』ゆうんがオススメなんよ。味はミックスベリー・コーヒーゼリー・甘夏みかんの3つがあるんじゃけど、カナはどれにする?」
「んーと、コーヒーゼリーで」
「じゃあたしは甘夏みかん」
 そうしてそのソフテリアというものが出てきた。カップの中にコーンフレークが入っていて、その上にソフトクリームを盛ったスイーツだ。わたしのはフレークとクリームの間にコーヒーゼリーが入っていて、チョコソースがかかっている。一方ユッカのは、みかんが入っていてクリームにオレンジソースだ。
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「はー、やっぱりこんな暑い日には、ひんやり系スイーツが最高じゃわなー」
 ユッカの口から率直な思いが出た。もう夕方になろうとしているのに、まだまだ暑さを感じる。そんなときにこのソフテリアは楽園へといざなってくれるがごときの品。わたしもユッカと同じことを思っていた。

「じゃ、今年もよろしくお願いしますよっ」
「おー、お互い応援し合おうぞー」
 ユッカとわたしがソフテリアを片手にキジさんのところへ戻ると、キジさんは誰かと話をしている様子だった。その相手は赤と黒の縦縞のユニフォームを着ていて、話を終えたのかその場を離れていった。
 再びキジさんの横に座って、わたしはたずねた。
「キジさん、さっきの人、誰じゃったんですか?」
「ああ、去年会うて知り合うた、コンサのサポーターじゃ」
「コンサ?」
「今日の相手じゃ。北海道コンサドーレ札幌」
「ほ、北海道!? そんな遠くから、ここまで試合観に来てんですか?」
「そうじゃ。周りを見てごらん。ちらほらコンサのユニフォームを着とる人がおるじゃろ。その人たちのほとんどは、はるばる北海道から来とんじゃ」
 そう言われて広場を見回すと、ファジアーノのエンジ色ユニフォームを着た人たちに交じって、確かにさっきの人のような赤と黒の縦縞のユニフォームを着ている人がちらほら見える。
「へー、わざわざ試合観るだけのために。もの好きな人もおるんですねー」
「何を言うとる。熱心なサポーターを侮っちゃおえんでえ。ほんまに熱心なもんは、日本中駆けまわって全試合応援に行くぐらいじゃけえのう。さらにこのCスタの場合は、遠方からの客にファジフーズが好評で、それを食べるのを目的にやって来るほどなんじゃぞ」
「そうなんですか!?」
 なんと、そこまでサッカーに心血を注ぐ人がいるとは。そんなに夢中にさせるものって、いったい何?
 あとこのファジフーズが、遠方から来る人にも評判がいいとのこと。これはわかる気がする。さっき実際に食べてみたから。これもまた、不思議なパワーが出ているの?
「ちなみに『コンサドーレ』って『道産子』を逆に読んだもんなんよな」
 ユッカが間に入って言った。
「あ、ドサンコを反対から読んでコンサド、それでコンサドーレね。そっかー、ははは」
 わたしは思わず笑ってしまった。次いでわたしはユッカに聞いてみた。
「じゃあ、こっちの『ファジアーノ』って、どういう意味?」
「『キジ』! イタリア語で鳥のキジ! ここ岡山の昔話『桃太郎』に出てくる鳥じゃ!」
「えっ! せえじゃ、キジさんの名前そのまんまじゃがな!」
 するとキジさん、笑いながらこう言う。
「はっはっはっ。そうなんじゃ。どういうわけか、ファジとワシはキジでつながっとんじゃ」
「キジなのに『ワシ』なんですね」
 ついポロッと出てしまったわたしの言葉は、その場を静まらせるには十分すぎたのだった……
「俺たちのファジアーノッ! 俺たちのファジアーノッ!」
 広場の北側で掛け声が聞こえた。またユッカにたずねる。
「あれはいったい何?」
「選手たちが入ってきたんよ。あそこに選手たちが乗るバスが止まるけえ、サポの人たちが選手たちにエール送っとんよ」
「じゃけえあんなに群がっとったんかー」
 あの人たち、きっと熱心なサポーターなのだろうな。それはさっきのエールからもうかがえた。


 スタジアム前広場は、わたしたちが来たときよりも人が多くなっていた。特にファジフーズ周辺はどの屋台の前も行列ができている。さっきキジさんが言っていた「フーズ目当てに遠方から客が来る」ことを、あらためて確信した。やはり魅力的なのだ、ファジフーズ。
「どれ、そろそろスタジアム内に入ろうかえ」
 キジさんが言った。いよいよ入場か。今日は高校生無料の日。ユッカとわたしはただで入れる。でも……
「キジさんはチケット買わないと」
「いんや、その必要はない。ワシにはけえがあるけえの」
 そう言ってキジさんが出したのは、パスケースに入ったチケットらしきものだった。
「何です? せえは」
「シーズンパスじゃ。けえをシーズン前に買うとけば、Cスタの試合全部けえで見られるんじゃ」
「全部! ぼっこう気合入ってますねー」
「おじいちゃん、サッカーバカなんよ。うちの家族もあきれるほど」
 ユッカがそう言うと、キジさんは少しムッとした。
「こりゃ結香、祖父のことをバカとはなんじゃ。熱烈サッカーファンといいなさい」
「はーい、ごめーん」
 ユッカはチロッと舌を出した。
 いよいよ入場ゲートをくぐり、スタジアム内へと入る。入場の際、パンフレットらしきものを受け取った。
「けえ何?」
「MDP。マッチデープログラム。今日やる試合の案内が書かれとるんよ」
 ユッカの説明を受けて、そのMDPを開いてみた。そこには両チームの選手一覧や順位表、今日おこなわれるイベントなどが書かれていた。なるほど、これを見ればわたしのように初めて来た人でも、両チームにどんな選手がいるのかがわかる。
「カナー! なんしょーん! こっちこっち!」
 ユッカの呼び声だ。おっといけない、MDPを開いて見ていて立ち止まってしまった。ユッカとキジさんに誘導されるように、わたしは観客席へと入った。

「これが……サッカーのスタジアム……」
 わたしは目の前の緑の芝生の平原を見ながら、いつの間にかそうつぶやいていた。
「まあ、サッカーのスタジアムゆうても、ここは陸上との兼用じゃけど。サッカー専用じゃったら、こことはまた違う雰囲気らしいで」
 ユッカの言葉にハッと我に返った。そう言われても、ここがわたしにとっては人生で初めて来たサッカーのスタジアム。今目に映っている風景がそのまま、スタジアムのイメージとして刷り込まれた。
 わたしたちはメインスタンドの南側寄りの席に座った。そこでMDPを開いて、あらためて確認。今日の試合は、ファジアーノ岡山 vs 北海道コンサドーレ札幌。両チーム名の下には順位が書かれている。岡山は4位、札幌は1位。って、これ上位同士の対決だ。そこでわたしはユッカに言った。
「ファジアーノって、今ええ順位につけとんじゃの。4位ってことは、ひょっとしたら優勝して日本一なんてこともあったりして」
「せえはねえわ。じゃって今ファジがおるの、J2じゃもん。J1で優勝せんと、Jリーグで日本一になったとは言えんよ」
「J2、J1って……なんよそれ」
「あーそっからかー。あんなーカナ、Jリーグゆうんは、J1・J2・J3と3つの階層に分かれとんよ。J1がトップでJ2とJ3はそれより格下」
「え、じゃファジアーノって、格下の位置なん? その、J1には上がれんの?」
「可能性はあるで。シーズン終了時にJ2で1位と2位になったチームがJ1へ自動昇格。それと3位から6位の4チームでトーナメント形式の『昇格プレーオフ』を戦って、勝ち残った1チームが昇格。じゃけえファジがJ1に昇格するには、最低でも6位に入らんとおえんのよ」
「てことは、今4位だから……このままの順位で終われば、昇格のチャンスがあるってことじゃな」
「そういうこと。でも昇格狙うなら、やっぱり1位か2位で終わってほしいわあ」
 ユッカにいろいろと教えられる。まあ、わたしがあまりに知らな過ぎるのかもしれないが。
「あ、それはそうとカナ、のど渇いてこん? なんか飲み物買うてくるわ」
 確かにこの蒸し暑さで、のども渇いてきた。わたしはユッカにほしい物を伝え、ユッカは買いに出かけた。

「のう、奏恵ちゃん」
 ユッカが席を外してキジさんとふたりきりになり、キジさんがわたしに話しかけてきた。
「ワシはのう、サッカーファンになってから、もうかれこれ48年になるんじゃ」
「そんな昔から!」
 筋金入りだ。わたしはただ驚きの表情を見せる他なかった。キジさんは話を続ける。
「あれはワシがまだ若い頃、20代のときじゃった。1968年のメキシコ五輪、そのサッカーに日本が出場した。当時は釜本邦茂がエースストライカーでの、メキシコでも大活躍じゃった。せえで日本は準決勝まで行って、決勝へは進めんかったが、3位決定戦で釜本は2得点を挙げて、日本が勝利。銅メダルを獲得したんじゃ」
「ほええ、昔の日本も強いときがあったんですねー」
「そのときじゃ。ワシがサッカーの魅力にとりつかれたんは。その後ワシは日本リーグ、今のJリーグの前身じゃが、その追っかけなんぞもやったもんじゃ。じゃがその後日本サッカーは低迷が続いてのう。なかなか人気が出ずにおったんじゃ。しかし時を経て、ついに日本サッカー界にとって記念すべき日、1993年5月15日がやってきたんじゃ。何の日かわかるかの?」
「うーん……わかりません。何の日です?」
「Jリーグ開幕の日じゃ。忘れもせん、国立競技場での開幕試合、ヴェルディ川崎 vs 横浜マリノス。あの日から、日本サッカーの新しい歴史が始まったんじゃ」
「1993年ってことは……わたしが生まれる7年前ですね、それ」
「せえで、ワシはその記念すべき試合、東京まで行って生で観戦したんじゃ」
「ええっ! じゃ生き証人じゃないですか」
「そうなんじゃ。あの試合でJリーグ初の得点を挙げたのが、ヴェルディのマイヤー。これはハッキリ覚えとる。試合は1-2でマリノスの勝ち」
「わあ、なんか貴重な話を聞けました」
 すごい、すごすぎる。サッカーファンの重鎮だ、キジさん。
「Jリーグ発足当時、岡山県には水島の川崎製鉄にサッカー部があってのう、ワシはここがいずれ岡山のJリーグクラブになると思うとった。じゃがそこは神戸に本拠地を変えてしもうた。あれはガッカリしたのう。ちなみにそのクラブは、今のヴィッセル神戸じゃ」
「川崎製鉄って、今のJFEスチールですね」
「そうじゃ。そして、川鉄が神戸へ移転してから8年後の2003年のことじゃ。川鉄OBたちが中心となってクラブができた。それがファジアーノ岡山じゃ。そのクラブ名の意味が『キジ』じゃと知ってから、ワシは運命的なもんを感じずにはおれんかった。ワシの名前、雉太郎に使われている鳥の名が入っとるんじゃけえのう。これは応援せねばとの思いに駆られて、当時観客席もない小さなグラウンドでの試合を見て応援したもんじゃ」
 そう語るキジさんは、なんだかうれしそうに見えた。本当に根っからのサッカー好きなのだな、この人。さらにキジさんは語り続ける。
「それからファジは中国リーグからJFLまであれよあれよといううちに昇って行って、2008年の終わりについにJリーグの一員となって、2009年からJ2リーグに参戦したんじゃ」
「2009年からということは……今年で8年目ですね、Jリーグ入りしてから」
「うむ、しかしJリーグはそう甘うのうてな。1年目はダントツの最下位じゃった。まあそのときはまだJ3がねかったんで、降格にはならずにすんだがの。せえでもワシは応援し続けた。で、今年のファジはなかなかええ線行きょうる。ほんまに悲願のJ1昇格やってくれるかもしれん勢いじゃ」
「今日の試合、ファジが勝つといいですね」
 キジさんにつられて、わたしもいつの間にかファジアーノのことを「ファジ」と呼んでいた。
「お待たせ―! 買うてきたでー」
 ユッカが飲み物のペットボトルを手に持って戻ってきた。わたしはそのうちの1本、コーラを受け取る。
「カナ、おじいちゃんと話しとったん」
「うん、昔のサッカーの話、いろいろ聞かせたもろうたよ」
「はー……やっぱり。おじいちゃんのクセが」
「どしたん? ユッカ」
 ユッカは小声でわたしにささやくように言う。
「おじいちゃんは初めて会うた人には必ずと言うてええほど、昔のサッカーの思い出話をするんよ。ここへ来てカナにも話しそうじゃて思うて。あたしはもう何べんも聞かされとってうんざりしとるけえ、逃げとったんよ」
「そうじゃったん……」
 一方のキジさん、そうとは知らずにサッカーの話をしたことでご満悦の様子だった。


 試合開始時刻が近づいている。あたりはもう日が暮れて薄暗くなっていた。
 場内では今日の試合の出場選手の紹介がされ、バックスタンドにいるお客さんたちは旗を振り、手拍子を打ち、歌を歌い始めた。これがサッカーの応援なのか。
 次に流れたのは、この歌。

 ♪誇りを胸に 戦えオレLAファジアーノ
  ここはホームだ 熱く激しく行くぜ
  共に歩むぜ 今日も勝利を目指し
  どんな時にも 俺たちがそばにいる
  岡山 心ひとつに
  岡山 晴れの国で
  岡山 勝利めざし
  岡山 熱く叫べ

 この歌詞が電光表示板に映されていた。わたしは歌なんてわからなかったので、歌を聞いて歌詞を見ることしかできなかった。けれど、この応援歌に地元岡山の誇りとファジへのエールが込められていることは、十分すぎるほど伝わった。今ここで応援している人たちはここ岡山の土地とファジを愛しているのだ、と。
 選手たちが入場してきた。するとバックスタンドでは、スタンド全体を包むように大きな旗が広げられた。背番号12のユニフォームを形どった旗、ファジのエンブレムが描かれた旗、マスコット・ファジ丸が描かれ「ココロヒトツニ」の言葉が書かれた旗。
「あ、あれ、何!?」
 わたしが思わず叫ぶと、とっさにユッカが答える。
「ビッグフラッグじゃ! 試合前にはいつもこれやるんよ」
 ビッグフラッグが広げられたスタジアムには『Over the Rainbow』の歌が流れてきた。♪オーオーオーオオオーオー、という具合で。
 サッカースタジアムという空間は、歌とともにあるのだ。わたしは今ここでそれを知った。
「さあ、試合始まるで!」
 ユッカの声とほぼ同時に、グラウンドからホイッスルの音が響いた。続いてスタジアムDJの声が響く。
「ファジアーノ岡山 vs 北海道コンサドーレ岡山、キックオフ!」

 試合中、バックスタンドのサポーターからは激しい声援が続く。飛び跳ねて、こぶしを挙げて、そして歌う。この声援を受けて、今グラウンドにいる選手たちは戦っている。それはまるで、サポーターたちが選手たちへパワーを送っているようにも思えた。
 わたしも試合を見ていて、知らないうちに声援を送るようになっていた。だって、今このグラウンドで選手たちが一生懸命に戦っているのだ。その姿を見たら、応援しないわけにはいかないではないか。わたしは自然にそう思えたのだ。
 試合はファジも札幌もお互いに競り合って、なかなかゴールを決められない。そんな状況が続いて、前半は0-0で終わった。
 前半終了時、外はもうすっかり暗くなって、照明がグラウンドを照らしていた。その光はまばゆいオーラをかもし出しているようにも見え、このスタジアム全体が幻想につつまれている、そんな感じがした。ナイターでサッカーの試合を観るなんてこれが初めてだが、こんなにも幻想的な世界を作り上げてくれているとは思いもしなかった。
 初めはあまり興味がわかなかったこの試合観戦。だけど、いつの間にか魅かれていたのだ。なんでだろう。何がわたしをこうまで変えてくれたのだろう?
 ひとつ、思い当たることがある。それは「パワー」だ。
 キジさんのようなファンから出ていた、サッカーを応援する気にさせてくれるパワー。
 遠方の客をもひきつける、スタジアムの雰囲気のパワー。
 サポーターたちが応援で選手たちに送るパワー。
 それらが融合して、大きなパワーとなって、今までのわたしを変えてくれた。そう思えてならなかった。今のわたしは、ひとりのサッカーファンへと変貌をとげつつある――!
 試合のほうは、後半も互いの攻防がせめぎ合い、両者とも点を取れないまま、試合終了のホイッスルが鳴り響いた。0-0。引き分け。
「あーあ、結局スコアレスドローかあー」
 ユッカが言った。しかしわたしにしてみれば、今日の試合の結果などどうでもよかった。ただ今日この日に、このスタジアムという空間に来て、この魅了してくれる時間を与えてくれたこと、それだけでもう心が満たされた。そんな思いのわたしに、ユッカはこう聞いてきた。
「カナ、今日来てみてどうじゃった?」
「最高じゃ! 今日来てよかったわー。誘ってくれて感謝じゃわー。わたし今日の試合観て、一気にファジに、サッカーにはまったわー。こんなにも楽しいもんじゃとは思わんかったわー」
 わたしは今の思いそのままを言葉にしていた。
「よかった……実はあたし、今までずっとカナをCスタに誘おうと思うとったんよ。でもカナ、あんまり興味なさそうで、無理に誘っちゃ悪いかなって思うて誘えずにおったんよ。そんなとき、高校生無料デーがあると聞いて、これならカナを誘えそうじゃと誘ったんよ。幸い承諾してくれて、今日こうして一緒に楽しめて。あたしもほんま、楽しかったわ」
「ユッカ……そんな気い遣わんでもえかったんに」
「ありがと。そう言われるとうれしいわ」
 ユッカ、わたしに配慮してくれていたんだね。ムダな金を使わせないように、今日のような高校生無料デーを選んで。ありがとうユッカ、すてきな空間へ誘ってくれて。あなたは最高の友達だよ。これからもずっと親友でいようね。
「奏恵ちゃん、ファジのことが気に入ったかい」
 キジさんが聞いてきた。すかさずわたしはこう答えた。
「はい! 今日はタダで観られましたが、これなら入場料出すのも惜しくありません!」
「おお、それはすばらしい!」
「あの、また次の試合も、ご一緒させてよろしいですか」
「もちろん! 大歓迎じゃ! また一緒に観に行こうや!」
 キジさんからうれしさを隠しきれない様子がうかがえた。
 夜空の下で、バックスタンドの客たちはまだ声援を送り続けていた。その声が響く中、わたしたち3人はみな最高の笑顔を浮かべてスタジアムをあとにした。


 わたし、今まで何も知らずにいた。
 この岡山という街のこと、何も知らずにいた。
 岡山に長い時間住んでいるのに、何も知らずにいた。
 この街にある、さまざまなものが、変わってきていること。
 この街には、実は魅力的なものがあるということ。
 そして何より、わたしたちの街の誇りというべきものがあること。
 それが、ファジアーノ岡山――わたしたちの誇り。

 それからのわたしは、ユッカ・キジさんと一緒に、Cスタでのファジの試合を毎試合観に行くまでになった。あの初めての観戦以来、わたしは応援せずにいられなくなったのだ。地元のファン・サポーターの期待を背負いながら、緑のフィールドで一生懸命に戦う選手たちを。何より選手たちがわたしにパワーをくれるから。
 あの日からのファジは、昇格争いに食らいつくように戦い続けた。シーズン終盤になってなかなか勝てない試合が続いたものの、ホーム最後の試合で最終的に6位となり、J1昇格プレーオフ進出。昇格への望みをつなげた。
 昇格プレーオフ準決勝では、前半に先制したものの後半に同点に追いつかれた。しかし終了間際にファジがゴールを決めて土壇場での勝利。決勝へと進んだ。あとひとつ勝てば、ファジはJ1に昇格できるんだ。
 そして決勝の日、2016年12月4日。この日は雨だったが、それでもCスタでパブリックビューがあるので、それを見に行った。もちろんユッカとキジさんも一緒だ。
 わたしたちは岡山の地から、今ファジが昇格をかけて戦う大阪まで、ただひたすらファジの勝利を願った。たのむ、勝ってほしい、わたしたちの祈りよ大阪へ届け――
 試合は終わった。1-0。ファジはあと一歩のところで敗れ、J1昇格はならなかった。
 わたしは思わず泣いた。悔しかったからだけでなく、応援や祈りを十分に届けられなかった自分への情けなさからも、わたしの目から涙が流れたのだ。
 わたしの隣で、ユッカとキジさんがそれぞれわたしをなぐさめてくれた。
「カナ、ファジは精いっぱい戦ったんじゃ。それでも力が及ばんかっただけじゃ」
「また来年、目いっぱい応援して後押ししょうや、な、奏恵ちゃん」
 そう言ってくれたユッカとキジさんの目にも、涙が浮かんでいた。本当にこのふたりと出会ってよかった。このふたりが、今までと違うわたしに目覚めさせてくれたのだから。


 2016年、わたしはファジと出会い、そして応援し続けた。それは確かに、わたし自身を大きく変貌させてくれた。新しい自分に出会えた、そんな気分になれた。
 ありがとう、ファジアーノ岡山。
 次の年こそJ1昇格だ。はばたけ、ファジアーノ岡山――

(おわり)